吉野間道(よしのかんどう)



江戸時代島原の名妓で、後に豪商・灰屋紹益の妻となった吉野太夫 が愛用したことから呼ばれました。濃い萌黄色に白、赤の竪縞を浮織りにし、赤、白、紫で真田紐状の横縞を表しています。また、赤、茶、白で経緯に織ったものもあります。

吉野間道 ※拡大画像

この記事はアシェット婦人画報社2003/10から引用しています。