五色間道(ごしきかんとう)


名称の由来は肥後人吉城主の相良氏に伝わったという説もありますが不明で、古書に相良間道の名も見られますが詳しく説明されたものはありません。文様の種類もいくつかあり、この裂は綿密で色糸を巧みに組織させて縞を織り出し、その間に印度風な華文と梅鉢を表している異国的な情味を持つ文様です。侘、寂の気品を備えた感じは、中国明代か十七世紀中頃の東南アジアあたりの作と思われます。

五色間道 ※拡大画像