蜀江錦(しょくこうにしき)



秦の昭王時代に、始めて現れた蜀の錦は、中国の古い都、成都を流れる錦江の水で濯ぎ染め上げられ、鮮麗な色彩が得られたというが現在伝えられている本歌は退色して黄赤色であるが当初は殆んど鮮やかな紅地であったという。 わが国には平安時代より、藤原時代まで舶載されていたが、彼我国内の諸情勢の変化により交易は一時廃絶されていた。しかし、明の太祖が君臨するや、わが国との修交も逐次復活し、やがて明の文化が一時に流入した。この時代の蜀江錦は(吾々は一に蜀江錦と称しているが)、巧みに研鑽され、実に50種類余の文様が製作されていた。わが国にもっともよく知られているのは、代表的な切篭模様の、亀甲風の八辺形な連鎖的幾何学模様である。 この錦は、左右相対的な整正な文様で、複雑な中に、統一ある様式を構成するを得た意匠の卓抜さは、驚くべき手腕である。明時代初期の作品とみるべきで、この気品ある端麗さが茶人に好まれたといえよう。明の織法がわが国で製作されるようになったのは、足利時代末期で、唐織錦と称した。

蜀江錦 ※拡大画像