◆お七夜◆ | |
誕生祝いの行事は、お七夜(おしちや)に始まります。出産後7日目に親子で祝う儀式で、産婦にかかっていた産穢がこの頃になると弱まると古代の人々は考えていたようで、平安時代には行われていました。実家から贈られた祝い着を紐を結ばずに着せるのが習いになっています。 また、この日に名前をつけることが多く、昔は符号があればあの世に引き戻せないという心意によってお七夜に命名されていましたが、出産届を2週間以内に出さなければいけない現代でも理にかなっているといえます。 |
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◆初宮参り◆ | |
生まれて間もない赤ちゃんが、初めて産土神(うぶすなかみ)である氏神にお参りし、氏子入りするのが初宮参りで、古 来は『産土詣り』と呼ばれ、子供の誕生を産土神に感謝し、生存権を認めてもらい、その加護を願い、成長を祈願するという古くから伝わる行事です。また、かつてはお産は穢れたものだと考えられていたため、『忌み明けの祝い』とも呼ばれていました。 赤ちゃんには実家より贈られた祝い着(のしめ)を掛け、祖母が抱いて、母親と一緒にお参りをします。祖母が抱くという風習は、産後の母体への思いやりから生まれたものといわれています。また、赤ちゃんの額に紅で、男児なら大、女児なら小と書いてヤスコという魔除けをするという風習も残っています。日取りは生後30日頃で、男児なら30か31日目、女児なら31か32日目が一般的ですが、地方によりさまざまになされています。 ただ生後間もない赤ちゃんを初めて公的に外出させるわけですから、あまりしきたりにとらわれず、まず赤ちゃんの健康状態を考え、母親の体力の回復も考慮して、天候の良い吉日を選んでお参りされるのがよいでしょう。 |
初宮参りのとき、赤ちゃんを包むように羽織らせるきものを「祝着」、「宮参り着」、「熨斗目(のしめ)」とも呼ばれ、祝い着の正装とされています。祝い着(のしめ)は母親の里方から贈られる場合が多いようです。当日は抱き着(身着せ)の上に帽子とよだれかけを掛け、祝い着(のしめ)はかけ着として着用して、紐には「犬張り子」「でんでん太鼓」「お守り」等をつけていただきます。
男児のお祝い着は、婚家先の家紋を入れた五つ紋付きで、強くたくましく成長してほしいとの願いを込めた柄を選びます。黒羽二重や綸子生地に龍や鷹、武者のような勇ましい模様に5つ紋を入れます。下着は白を用います。
女児の祝い着も、選ぶ柄に親の思いを込めます。愛らしい柄が多いのはそのためといえます。綸子などの絵羽で、友禅 柄。下着は紅または鴇色(ときいろ)の、紋綸子を用います。女児の場合、家紋を省略することが最近は多いようです。
男女児とも、並幅いっぱいを身ごろに使って背縫いをつけず、袖は丈の長い平袖で、飾りをかねた広い付け紐をつけて、これを赤ちゃんを抱く人の肩からかけまわします。
最近はこのあと七五三の3歳の祝い着にされる方も多いようです。
抱き着(身着せ) (写真は男児用) |
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帽子(大黒帽)とよだれかけ (写真は男児用) |
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守り袋 |
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扇子と麻の緒 (写真は男児用) |
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犬張り子 |
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でんでん太鼓 |
背に結ばれた祝い着の紐には、当日いろいろな縁起ものをつけ、無事な成長を祈ります。準備したほうがよいものは以下の通りです。 神社でいただくお守りを入れるための守り袋。出発前に紐に通しておくとよいでしょう。他に、繁栄と長寿を願う意味で、扇子を紙製ののし袋にいれ麻の緒を添えたもの。 |
当日は子供に新調の抱き着(身着せ)を着せ、大黒帽とよだれかけをかけ、その上からお祝い着(のしめ)を掛当日は子供に新調の抱き着(身着せ)を着せ、大黒帽とよだれかけをかけ、その上からお祝い着(のしめ)を掛け着として着用します。け着として着用します。掛け着の着せ方は祝い着(のしめ)を広げ、子供の背中をおおうように掛け、紐の一方を肩側に、他方を脇から通して抱き手の人の背で蝶結びにします。 |
「扇子」と「お守り袋」や「犬張り子」「でんでん太鼓」等を祝い着(のしめ)の肩側の紐に水引か力紐で結びつけてお参りし、扇子は神社に奉納して帰るのが習慣とされています。 |
昔は2人とも第一礼装の黒留袖、色留袖を着用しましたが、現在では、一般にはここまで改まらないで、訪問着、付け下げ、色無地程度におさえた装いをすることが多いようです。
ただし、子供を氏子入りをさせる大事な儀式ですから、どんなにくずしても小紋までにします。それも、鮫小紋のような格のあるものでなくてはなりせん。帯はいずれの場合も袋帯か、なごや帯なら格のある織なごやを。
宮参りの後に、親戚、知人宅へ挨拶回りに行く事もあるので、嫁と姑は同じ格の装いにするか、どちらかといえば、赤子を抱く姑のほうが役としてはやや重いので、嫁には、姑の装いをしのがないような配慮がほしいものです。
また付き添いの人の装いは、色留などのような紋服が正式な衣裳とされていますが、伝統的な儀式にふさわしい装いであればことさら着物にこだわる必要はありません。
神社や氏神に詣でて、神前で祈願するのが初宮参り。 |
祝い着(のしめ)の肩側の紐に水引か力紐で結びつけてお参りした扇子は、神社に奉納して帰るのが習慣とされています。 |
お宮参りに出かけるとき、通常は祖母か近親の女性が子供を抱くものとされています。これは産後の母体を気遣ってのことと、お産を忌む風習の名残で子供を潔めるために母親以外の女性が抱いてお参りしたと考えられます。しかしご夫婦でお参りされる場合はやはりお母さんが抱かれるのが自然でしょう。 |
お参りを済ませた後は、祝ってくれた親類や知人宅に赤飯などの内祝いの品を添えて挨拶に出向いたり、子供たちへの仲間入りという意味を込めて近所の子供に菓子を配ったりすることもあります。また、家族で祝いの膳を囲んだりと、各家庭でそれぞれの方法で子供の初宮参りを祝います。 |
お宮参りは古来「産土(うぶすな)詣り」と呼ばれ、子供の誕生を産土の神に感謝し、その子の成長を祈願したという故事に由来し、真文雑記や誕所記などの古い文献にもその記録がみられます。 |
江戸時代(徳川家綱の時代)には、お宮参りの帰途に大老・井伊掃部頭宅へ挨拶に立ち寄る風習が生まれ、それ以来庶民の間でもこれにならって親戚や知人宅へお宮参りの報告と挨拶に伺う習慣が各地に広がったといわれています。 |
今日のように「お宮参り」という呼称が用いられたのは、室町時代(足利義満の時代)からだといわれ、当時は色直し(お産のあとの日常生活にもどる)のあとの吉日を選び母子揃ってその家の氏神様に詣り、子供の氏子入りをすませたあと、部屋にも飾りをつけて産土の神をお祭りしていたようです。 |
家意識の非常に強かった昔は、腹は借り物であり、生まれた子供はその母親のものではなく、婚家に属するものでした。元来、出産(うぶや)は血による穢れ(けがれ)という考え方が強く、大昔は出産のため、産屋(うぶや)と称する仮小屋を建てたり、ある一室をとくに産屋として用意し、出産にあたっては夫を含めて男性はこれに近づかないのがしきたりでした。 |
産後もしばらくは産の忌みとしてここへこもらせ、産屋明けを期して身を清めてから母屋へ帰り、はじめて家人と寝食をともにしたのです。 |
夫はこのとき初めて産まれた子供と対面しふれることができました。医学も発展していなかった昔、人々が産を危険で神秘的なものとして恐れはばっかった様子がわかりますが、必ずしも穢れをさけるためだけでなく、出産を神聖なものとして隔離し、産後は産婦を心ゆくまで休息させる意味があったのではないかと説く人もいます。 |
この大昔の風習の名残が、現在でもみられる里帰り出産です。少し前まではお産についての世話はもちろん、経費の一切を里方で見るというしきたりも残っていました。 |
母子とも産後の肥立ちよく、婚家へ帰ってくるのがちょうど産後一ヶ月ころ。この時期をさかいに生まれた子供は婚家のものとなり、婚家の属する地縁集団にくみ込まれ、婚家の氏神の氏子入りをする、このけじめの儀が宮参りです。 |
宮参りの時、生まれた子供を、婚家の母、姑がしっかり抱くのは、子供が婚家のものであることを誇示したなごりです。 |
でもこれも生まれた子をよろこび迎える姑の気持ちの表現であり、産後日の浅い嫁の体をいたわるかたちであると解釈することもできます。 |
子を抱いた姑に従う嫁も、無事子を挙げた誇りと満足感にあふれています。 |