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JULY |
≪文月≫ |
本格的な夏の到来 |
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7 月 |
参考・引用 : 自由国民社「現代用語の基礎知識」より引用しています
◆ 小暑(しょうしょ) | ||
暑さが次第に強くなっていくことを意味する節気。新暦7月7日頃。現在の気候では梅雨明けが近い頃。二十四節気の1つ。または、この日から大暑までの期間。 小暑あるいは大暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送るのがしきたり。小暑の終わりごろに夏の土用に入る。 |
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◆ 大暑(たいしょ) | ||
暦の上で暑さが最も厳しくなる頃の節気。新暦7月23日頃。この頃から子供たちが待ちに待った夏休みが始まる。天文学的には、太陽が天球上の黄経120度の点を通過する瞬間。 |
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◆ 半夏生(はんげしょう) | ||
半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(サトイモ科烏柄杓 からすびしゃく)という薬草)の名から。七十二候の一つ。かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。 |
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◆ 七夕の節句(たなばたのせっく) | ||
七夕は「7月7日の夕方」を意味する五節句の一つ。新暦でも7月7日。七夕行事は、中国に古く から伝わる牽牛・織女星の伝説から発達した乞巧奠(きこうでん)の行事で、七夕の名の由来は、織女の和名が棚機津女(たなばたなつめ)であることから。 |
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◆ 夏の土用(なつのどよう) | ||
立秋前の18日間。新暦7月20日頃から8月7日頃まで。日本では夏の土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるために鰻を食べる習慣がある。鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の、当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。 |
◆ 祇園祭(ぎおんまつり) | ||
毎年7月1日の「吉符入り(きっぷいり)」から31日の「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしさい)」まで、1ヶ月に渡って行われる京都・八坂神社の祭り。日本三大祭の一つで、京都の夏の風物詩。平安時代、疫病の流行を鎮めるために御霊会(ごりょうえ)を開いたのが始まり。17日には祭最大の見せ場となる山鉾の巡行があり、前夜祭の宵山から京都の町は盛大に賑わう。ちなみに、時節を逃した意味で使われることわざ「後の祭り」はこの山鉾巡行以降、祭りが小規模になることから生まれた。 |
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◆ 郡上踊り(ぐじょうおどり) | ||
毎年7月中旬から9月上旬にかけて、31夜にわたって郡上八幡(岐阜県郡上市八幡町)で繰り広 げられる盆踊り。8月13日から16日の「孟蘭盆」には夜を徹して踊り明かすことで知られている。 「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」
の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。 |
◆ 虫干し(むしぼし) | |
夏の土用の頃、黴(カビ)や虫の害を防ぐために本や衣類を干すことをいう。きものの場合で説明すると、陽のあたらない、風通の良い部屋で行ないます。衣紋掛けか、着物ハンガーに吊るし必ず 陰干しで行ないます。部屋の照明も変色の原因になりますので切っておきます。たとう紙や風呂敷は日光に当て乾燥させておきましょう。除湿剤は湿気対策にかなり有効なので、年に2回は取り替えることです。以上のことが出来ない方は、たとう紙を開けて風を通すか、箪笥の引き出しを開けておくだけでも、効果はあるものです。面倒がらずに大切な御着物を取り出して、点検してください。 |
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◆ 夏座敷(なつざしき) | |
ふすまや障子を取りはずして簾戸や御簾に買えて風通しをよくし、畳には籐の網代を敷いて夏向きにしつらえ、風鈴を下げると、チリンチリンと涼し気な音がします。このように夏に涼を感じながら過ごせるようにしつらえた部屋を、夏座敷といいます。日々の暮らしに暑さを迎える仕度をする。反対に段をとる仕度をした座敷を「冬座敷」という。 |
◆ 鱧(はも) | ||
関西では夏の味覚として欠かせない味。小骨が多いのが特徴で、1寸に26筋という細かさで包 丁を入れ、しかも皮を切らないという職人技で処理される。この骨きりを丁寧にしたものは、熱湯に通すと反り返って白い花のように開く。これは牡丹鱧といわれ、梅肉のたれでいただく。産卵を終えた冬も脂がのり、もう一つの旬である。 |
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◆ 鰻(うなぎ) | ||
現代においても、 その生態に依然謎の多い「ウナギ」を日本人が食し始めたのは古く縄文時代にまでさかのぼるという。初めて文献に登場するのが奈良時代、万葉集に「武奈伎」としてその記述が見られる。「万葉集」以外にも幾つかの文献に「むなぎ」などとして「うなぎ・鰻」をさす言葉が散見され、また「鰻」を食していた痕跡を発見することが出来るが、広く庶民に食されるようになったのは、江戸時代に入ってからの事。水からあげても、その皮膚がぬれている限り生きていられるというたくましい生命力、高たんぱくで、滋味に富み、消化のよい鰻は庶民の夏ばて防止の食べ物として、また酒飲みの格好のつまみとして、好んで食されてきた。 |
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◆ 夏のお菓子(なつのおかし) | ||
織姫と彦星が1年に一度、天の川を渡って会う七夕、この七夕に食べられていたお菓子が「索餅 (さくぺい)」です。由来は中国の故事によるもので、古代中国、高辛氏の子どもが7月7日に亡くなり、それが霊鬼神となって人々に瘧(おこり=熱病)を流行らせたとか。その子が生前好きだった「索餅」を供えて崇りを静めたところから、病除け、魔除けとして食べられる習慣が広まったとされています。 |
◆ 天の川(あまのがわ) | ||
夏と冬の夜空に見える星の群。夏の夜空では南の空へ向って明るさを増していく。天の川の中に中州のように黒い部分が見えるのは、星がないためではなく、手前に暗黒物質があって本来ある星を隠しているため。旧暦の七夕の頃は、宵の頃に天の川とその岸辺に織女星、牽牛星がちょうど頭上に見える。 |
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◆ 蓮(はす) | ||
蓮(古名「はちす」)の花は蓮華(れんげ)と呼ばれ、夏の季語。二十四節気の小暑(新暦7月7日頃) の次候(七十二候)には「蓮始開(蓮の花が開き始める)」がある。未明に咲くのが特徴。 |
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◆ 蝉時雨(せみしぐれ) | ||
多くの蝉が一斉に鳴きたてる声を時雨の降る音に見立てた語。夏の季語。 |
◆ 草いきれ(くさいきれ) | ||
夏の強い日ざしをうけて、草むらから立ちのぼる、むっとする熱気。むせ返るような草の匂い、 土の匂いは夏を感じさせるもの。新潟県豊栄市にある福島潟の草いきれは、環境省の選定する日本の「かおり百選」に選ばれている。県内最大の潟湖である福島湖は、面積の6割を水辺の植物に覆われている自然豊かな公園。 ※ 福島潟 |
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◆ 月下美人(げっかびじん) | ||
月下美人は日本では6~11月にかけて、夜、白い妖艶な花を咲かせる。この季節に株の体力 が十分に回復すれば2~3ヵ月後にもう一度咲くことができる。つぼみは初期は垂れ下がっているが開花直前になると自然に上を向いて膨らみ、夕方に芳香を漂わせはじめる。これもコウモリがホバリングをしながらやや下を向き、舌を伸ばして花蜜と花粉を摂食する行動との共進化と考えられている。明け方にはしぼんでしまう。 |
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◆ 麻(あさ) | ||
元来日本語で麻繊維は大麻から作られた繊維を指す名称であった。古代から日本に自生し繊維 利用の盛んだった植物を麻と呼称していたが、後に海外より持ち込まれた亜麻、苧麻などを含めた植物繊維全般を指して「麻」の名称を使うようになったため、本来の麻を植物の背丈が大きく成長する特徴から、大麻(おおあさ、たいま)と区別して呼称するようになったとされている。 現在日本で麻の名称で流通している繊維のほとんどは亜麻(あま)から作られる。 |
◆ 浴衣(ゆかた) | ||
夏の和装の代表。夏祭りや花火大会での浴衣は風情を感じさせるもの。鎌倉時代以前の 貴族が湯浴みするときに着用した「湯帷子(ゆかたびら)」が語源とされる。江戸時代には、入浴後に着る単衣を「ゆかた」と呼ぶようになり、書中の外出着にも用いられ、町人文化の発展にともなって進化してきた。さらに天保の改革で町人の絹が禁止されてからは木綿の浴衣が発達。町人に許された藍を染料に、藍染の技術と柄を競い、投じたい州の人気を集めていた歌舞伎役者の楽屋着をまねて着るなど、流行の最先端を担うようになっていった。近年、夏のおしゃれ着として女性のみならず、男性も楽しむようになっていった。 |
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◆ 藍染(あいぞめ) | ||
天然の藍は世界中で数世紀にも渡って、染料として尊ばれて来ました。 |
◆ 御中元(おちゅうげん) |
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御中元は、日頃お世話になっている人に感謝の気持ちをこめて物品を贈る習慣で、古代中国で生まれた道教の三元節二由来します。三元節とは一年を三分した旧暦1月15日(上元)、7月15日(中元)、10月15日(下元)という節目の日のことで、これらの日に神様に供物を捧げる行事が行われていました。中でも7月15日は、先祖の霊を供養する孟蘭盆会(うらぼんえ)にあたり、これに中国から伝わった中元の行事が結びついて、江戸時代以降、親戚や知人、お世話になっている人にごあいさつをする習慣として定着したといわれています。 |
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◆ 暑中見舞い(しょちゅうみまい) |
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暑中見舞い(しょちゅうみまい)とは、文字通り、暑中に知人などへ安否を尋ねるために家を訪問する、または手紙を出すあいさつのこと。本来は、1年で最も暑い時期に相手の健康を気遣うことであるが、現在は単なる社交辞令となっていることもある。寒中見舞いの逆にあたる。本来は梅雨明けから二十四節気の立秋までの間にするものとされ、それ以降は残暑見舞いとなる。 |